パナソニックの歴史を徹底解説|松下電器から世界的企業への歩み
パナソニック株式会社は、日本を代表する総合電機メーカーとして、100年以上にわたり世界中の人々の暮らしを支えてきました。本記事では、創業者・松下幸之助による小さな町工場からスタートし、世界的企業へと成長を遂げたパナソニックの歴史を、時系列でわかりやすく解説します。
パナソニックの創業期(1918年〜1930年代)
松下幸之助による創業
パナソニックの歴史は、1918年(大正7年)3月7日に始まります。創業者の松下幸之助は、わずか23歳という若さで、大阪市福島区の借家でアタッチメントプラグ(配線器具)の製造販売を開始しました。創業時の資本金はわずか100円、従業員は松下幸之助本人と妻のむめの、義弟の井植歳男の3人というまさに零細企業からのスタートでした。
初期の主力製品
創業当初は苦労の連続でしたが、1918年に開発した改良型アタッチメントプラグが評判を呼び、事業は徐々に軌道に乗り始めます。その後、1923年には自転車用の砲弾型ランプを発売し、これが大ヒット商品となりました。この成功により、松下電気器具製作所は着実に成長を遂げていきます。
ナショナルブランドの誕生
1927年、松下幸之助は「National」(ナショナル)という商標を採用します。これは「国民的な、国家的な」という意味を持ち、「国民の皆様に広くご愛用いただける製品を作りたい」という松下の願いが込められていました。このブランド戦略が、後の飛躍的な成長の基礎となります。
戦前・戦中期の発展(1930年代〜1945年)
総合電機メーカーへの転換
1933年、事業部制を導入し、組織の近代化を図ります。この時期、ラジオ、電池、電熱器具など製品ラインナップを拡大し、総合電機メーカーへの転換を進めました。1935年には松下電器産業株式会社を設立し、企業規模も大きく拡大します。
戦時体制下での苦難
太平洋戦争の勃発により、民生品の生産は制限され、軍需品の製造を余儀なくされました。工場は空襲により大きな被害を受け、終戦時には事業の継続が危ぶまれる状況に陥ります。
戦後復興期(1946年〜1960年代)
PHP研究所の設立
1946年、松下幸之助は「Peace and Happiness through Prosperity」(繁栄によって平和と幸福を)の頭文字を取ったPHP研究所を設立し、人間観・社会観・世界観の探究を始めます。この精神性は、パナソニックの企業文化の根幹となりました。
高度経済成長期の躍進
1950年代から1960年代にかけて、日本の高度経済成長とともにパナソニックも急成長を遂げます。白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫といった「三種の神器」と呼ばれる家電製品の普及により、売上は飛躍的に増加しました。
1952年には、オランダのフィリップス社と技術提携を結び、松下電器とフィリップスの合弁会社として日本フィリップス社(後の松下電子工業)を設立します。
世界への進出
1959年、アメリカに現地法人を設立し、本格的な海外展開を開始します。「World’s Matsushita」を掲げ、世界市場への進出を加速させました。
成長・多角化期(1970年代〜1980年代)
VHS方式の普及とビデオ事業の成功
1970年代後半、家庭用ビデオデッキの規格争いにおいて、松下電器はVHS方式を支持し、その普及に貢献しました。これにより、ビデオ事業は大きな収益源となります。
創業者の退任
1973年、松下幸之助が会長を退任し、相談役となります。しかし、その経営哲学は脈々と受け継がれていきました。1989年4月27日、松下幸之助は94歳でこの世を去りますが、その遺産は今もパナソニックの中に息づいています。
技術革新の加速
1980年代には、CD、デジタルカメラ、ノートパソコンなど、新しいデジタル製品の開発に注力します。この時期、松下電器は世界有数の総合電機メーカーとしての地位を確立しました。
グローバル化の加速(1990年代〜2000年代)
プラズマディスプレイの開発
1990年代、松下電器はプラズマディスプレイパネル(PDP)の開発に力を入れ、大型薄型テレビ市場で主導的な地位を築きます。2000年代初頭には、プラズマテレビ「VIERA」シリーズが大ヒット商品となりました。
デジタル家電への転換
2000年代に入ると、デジタル技術の急速な進展に対応し、デジタルカメラ「LUMIX」シリーズ、DVDレコーダー「DIGA」シリーズなど、デジタル家電製品のラインナップを充実させます。
パナソニックへの社名変更
2008年10月1日、創業90周年を機に、社名を「松下電器産業株式会社」から「パナソニック株式会社」に変更しました。これは、グローバル市場で「Panasonic」ブランドの認知度が高まったことを受けた決断であり、真のグローバル企業への転換を象徴する出来事でした。
また、2008年末には三洋電機を子会社化し、環境・エネルギー分野を強化します。
構造改革期(2010年代)
経営危機と改革
2011年から2012年にかけて、テレビ事業を中心とした赤字により、パナソニックは大規模な構造改革を余儀なくされました。2012年3月期には約7,700億円、2013年3月期には約7,500億円という巨額の赤字を計上します。
事業構造の転換
この危機を受けて、パナソニックはBtoC(消費者向け)事業からBtoB(法人向け)事業へと軸足を移す戦略を推進しました。特に、自動車関連事業、住宅・建材事業、BtoB向けソリューション事業に注力します。
プラズマ事業からの撤退
2013年、長年注力してきたプラズマディスプレイパネルの生産を終了し、液晶テレビへの完全移行を決定しました。これは、市場環境の変化に対応した大きな転換点となりました。
新時代への挑戦(2020年代〜現在)
持株会社体制への移行
2022年4月、パナソニックは事業会社制から持株会社体制に移行し、「パナソニック ホールディングス株式会社」となりました。傘下には以下の主要事業会社を配置しています。
- パナソニック株式会社(くらし事業)
- パナソニック オートモーティブシステムズ株式会社(自動車関連事業)
- パナソニック コネクト株式会社(BtoB向け事業)
- パナソニック インダストリー株式会社(電子部品・デバイス事業)
- パナソニック エナジー株式会社(電池事業)
- パナソニック ハウジングソリューションズ株式会社(住宅・建材事業)
電気自動車(EV)向け事業の強化
近年、パナソニックは電気自動車向けのリチウムイオン電池事業に注力しています。テスラとの協業により、アメリカネバダ州にギガファクトリーを建設するなど、次世代モビリティ分野での存在感を高めています。
サステナビリティへの取り組み
パナソニックは「環境ビジョン2050」を掲げ、2050年までに事業活動で使用するエネルギー量を上回るクリーンエネルギーを創出・提供することを目指しています。太陽電池、蓄電池、水素関連技術など、環境・エネルギー分野での技術開発に積極的に取り組んでいます。
パナソニックの経営哲学
松下幸之助の経営理念
パナソニックの経営の根底には、創業者・松下幸之助の経営哲学が息づいています。「企業は社会の公器である」「水道哲学」(良い製品を安く大量に供給することで、人々を貧困から救う)といった考え方は、今もパナソニックの企業文化の中核をなしています。
綱領と信条
1929年に制定された「綱領」と「信条」は、パナソニックグループの経営の基本方針として、今日まで大切に守られています。
綱領:産業人たるの本分に徹し社会生活の改善と向上を図り世界文化の進展に寄与せんことを期す
信条:向上発展は各員の和親協力を得るに非ざれば得難し各員至誠を旨とし一致団結社務に服すること
まとめ:100年を超える歴史が示すもの
パナソニックの歴史は、一人の青年の夢から始まり、幾多の困難を乗り越えて世界的企業へと成長した、まさに日本の製造業の歴史そのものと言えます。
創業から100年以上が経過した現在、パナソニックは新しい時代に向けて、家電メーカーからソリューション提供企業へと変革を続けています。電気自動車、スマートシティ、環境・エネルギーといった新たな領域で、創業者・松下幸之助が掲げた「より良いくらし」「より良い世界」の実現を目指して挑戦を続けているのです。
パナソニックの歴史は、イノベーション、顧客第一主義、そして社会貢献という普遍的な価値観の重要性を私たちに教えてくれます。次の100年に向けて、パナソニックがどのような新しい歴史を刻んでいくのか、今後の展開に注目が集まります。
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