【完全版】国産コンピュータの歴史と発展:日本のIT産業はこうして生まれた
日本のコンピュータ産業は、戦後の焼け野原から世界トップクラスの技術大国へと成長する過程で、独自の発展を遂げてきました。本記事では、国産コンピュータの黎明期から現代までの歴史を詳しく解説します。
国産コンピュータの始まり(1950年代)
日本初のコンピュータ開発は、1950年代に始まりました。1952年、東京大学の高橋秀俊教授らによって開発されたリレー式計算機「TAC」が、日本における電子計算機開発の第一歩となりました。
1956年には、富士通が国産初の商用コンピュータ「FACOM100」を完成させます。これはリレー式計算機でしたが、日本の商用コンピュータ産業の幕開けを告げる画期的な製品でした。
同時期、日本電気(NEC)や日立製作所も独自のコンピュータ開発に着手し、日本の電機メーカーがこぞってコンピュータ事業に参入する時代が始まりました。
トランジスタ時代の到来(1960年代)
1960年代に入ると、真空管からトランジスタへの技術革新が進みます。1958年、NECが国産初のトランジスタ式コンピュータ「NEAC-2201」を発表。これを皮切りに、各社がトランジスタコンピュータの開発競争に突入しました。
この時期の重要な出来事として、1961年に設立された「電子技術総合研究所」(電総研)によるコンピュータ研究の推進があります。国家プロジェクトとして、日本独自のコンピュータ技術開発が本格化しました。
1964年の東京オリンピックでは、国産コンピュータが競技結果の集計やデータ処理に活用され、日本の技術力を世界に示す機会となりました。
メインフレーム全盛期(1970年代)
1970年代は、大型汎用コンピュータ(メインフレーム)が企業の基幹システムとして普及した時代です。富士通、NEC、日立の「御三家」が国内市場を席巻しました。
この時期、IBMの市場独占に対抗するため、通産省主導で「超LSIプロジェクト」などの国家プロジェクトが推進されます。富士通、日立、三菱電機、東芝、NECの5社が共同で技術開発を行い、日本の半導体技術は飛躍的に向上しました。
1974年、富士通は「FACOM M-190」で独自アーキテクチャからIBM互換路線へと舵を切ります。この戦略転換が後の成功につながりました。
パーソナルコンピュータの登場(1980年代前半)
1980年代は、日本のコンピュータ産業が最も輝いた時代です。1979年、NECが発売した「PC-8001」は、日本におけるパーソナルコンピュータ普及の先駆けとなりました。
1982年には、NECの「PC-9800」シリーズが登場します。通称「98(キューハチ)」は、ビジネス用途を中心に爆発的に普及し、1990年代半ばまで国内PC市場で圧倒的なシェアを誇りました。日本語処理に優れた独自アーキテクチャが、日本市場で強い支持を得た理由です。
同時期、シャープの「X1」、富士通の「FM-7」、ソニーの「SMC-70」など、各社が独自のパソコンを発売。多様な機種が市場に登場し、「パソコン戦国時代」と呼ばれました。
第五世代コンピュータプロジェクト(1980年代)
1982年、通産省主導で「第五世代コンピュータプロジェクト」が開始されました。人工知能を実現する次世代コンピュータの開発を目指した野心的なプロジェクトでしたが、最終的に当初の目標達成には至りませんでした。
しかし、このプロジェクトは並列処理技術や論理型プログラミング言語の研究を推進し、日本のコンピュータサイエンス研究に大きな影響を与えました。
ワークステーションとスーパーコンピュータ(1980年代後半)
1980年代後半、技術系専門家向けのワークステーション市場でも、日本メーカーが存在感を示します。ソニーの「NEWS」、富士通の「S-4」など、UNIXベースのワークステーションが開発されました。
スーパーコンピュータ分野では、1983年に日本電気が「SX-2」を発表。その後、富士通、日立もスーパーコンピュータ市場に参入し、科学技術計算分野で実績を積み重ねました。
Windows時代への移行と構造変化(1990年代)
1990年代、PC市場に大きな変化が訪れます。マイクロソフトのWindows 3.1、そしてWindows 95の登場により、IBM PC/AT互換機が世界標準となりました。
NEC PC-9800の独自規格は次第に競争力を失い、1997年にNECもDOS/V(PC/AT互換機)へと軸足を移します。これは日本独自のPC規格の終焉を意味しました。
メインフレーム市場でも変化が起こります。クライアントサーバシステムの普及により、大型汎用機への需要が減少。日本のコンピュータメーカーは事業構造の転換を迫られました。
インターネット時代と事業再編(2000年代)
2000年代に入ると、インターネットの普及とともに、コンピュータ産業の構造が大きく変わります。ハードウェアメーカーからソフトウェアやサービスへと重心が移りました。
多くの日本メーカーがPC事業から撤退または縮小を余儀なくされます。2004年、IBMがPC事業を中国のLenovoに売却。日立とNECはPC事業を統合し、2011年には富士通もPC事業を分離するなど、業界再編が進みました。
一方で、富士通のスーパーコンピュータ「京」が2011年に世界一の性能を達成するなど、ハイエンド分野では技術力を維持し続けました。
クラウドとAIの時代(2010年代以降)
2010年代は、クラウドコンピューティングとAIの時代です。日本のコンピュータメーカーは、ハードウェア販売からソリューション提供へとビジネスモデルを転換しました。
富士通、NEC、日立は、IoT、ビッグデータ、AIを活用したデジタルトランスフォーメーション(DX)支援サービスに注力。グローバル企業との競争の中で、独自の価値を模索し続けています。
スーパーコンピュータ分野では、2020年に理化学研究所と富士通が開発した「富岳」が世界一の性能を獲得。2021年まで4期連続で世界一を維持し、日本の技術力の高さを世界に示しました。
国産コンピュータの技術的特徴
日本のコンピュータ開発には、いくつかの特徴的な側面があります。
日本語処理への対応:漢字やかな文字の表示・入力処理は、日本独自の技術課題でした。PC-9800の成功は、優れた日本語処理能力によるところが大きかったのです。
高品質へのこだわり:日本メーカーは、ハードウェアの信頼性と品質に強くこだわりました。この姿勢は、メインフレームからノートPCまで、あらゆる製品に反映されています。
独自規格の追求:PC-9800やFM TOWNSなど、日本市場に特化した独自規格を追求する傾向がありました。これは国内では成功しましたが、グローバル展開の障壁ともなりました。
現在の日本のコンピュータ産業
現在、日本のコンピュータメーカーは、従来型のハードウェア製造から、AIやIoTを活用したソリューション提供へと軸足を移しています。
富士通は「Fujitsu Uvance」というビジネスブランドのもと、サステナビリティや社会課題解決に焦点を当てたDX支援を展開。NECは生体認証技術や海底ケーブルなど、特定分野での強みを活かしています。日立は社会イノベーション事業に注力し、IT・インフラの融合を進めています。
また、スタートアップ企業による革新的な取り組みも活発化しており、日本のコンピュータ産業は新たな段階に入っています。
まとめ:国産コンピュータの遺産と未来
日本のコンピュータ産業は、70年以上の歴史の中で、独自の技術開発と市場創造を行ってきました。メインフレームの時代、パソコンの黄金期、そしてインターネット時代と、時代ごとの変化に対応しながら進化を続けてきたのです。
現在、ハードウェア単体での競争力は低下していますが、高品質なものづくりへのこだわり、日本市場への深い理解、先端技術開発力といった強みは今も健在です。
AI、量子コンピュータ、次世代通信といった新技術の時代において、日本のコンピュータ産業がどのような役割を果たすのか。その答えは、これから書かれていくことでしょう。
国産コンピュータの歴史は、日本の技術力と創造性の結晶であり、未来への道標でもあるのです。
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