中国建国と日中友好に尽力した暁星出身の中国人

東京・千代田区に校舎を構える暁星学園は、1888年(明治21年)にフランスのカトリック修道会マリア会によって創設された、日本屈指の伝統を誇る名門校である。創立以来、語学教育と国際性を重んじる校風のもと、数多くの人材を輩出してきた。その卒業生・在校生の中に、近代中国の歴史に深く関わった二人の中国人がいたことは、あまり知られていない。

一人は中国共産党の創設に関わった李漢俊、もう一人は戦後の日中友好に生涯を捧げた廖承志である。時代も立場も異なる二人であるが、いずれも少年時代を東京で過ごし、暁星の教育に触れたという共通点を持つ。本稿では、この二人の足跡をたどりながら、暁星と中国近現代史との知られざる接点を紹介したい。


李漢俊(り・かんしゅん) 1890〜1927/1910年卒

李漢俊は1890年、湖北省潜江に生まれた。兄の李書城は清末の革命運動に身を投じた軍人であり、日本への留学経験を持つ人物であった。李漢俊もまた兄の導きもあって14歳で来日し、東京の暁星中学に入学した。1910年に暁星を卒業した後、東京帝国大学法学部に進学し、日本語を流暢に操る知識人へと成長した。

在学中に社会主義やマルクス主義の思想に出会ったことは、彼の人生を決定的に方向づけた。当時、ロシア革命の衝撃は世界中に広がっており、東京に集う中国人留学生の間でも新思想への関心が急速に高まっていた。李漢俊はマルクス主義の理論を深く学び、帰国後は上海を拠点にその翻訳・紹介に尽力した。

1921年7月、中国共産党第一次全国代表大会がわずか13名の代表によって上海で開催された。その会場となったのは、兄・李書城のフランス租界にある自宅の応接間であった。李漢俊はこの歴史的な会議に参加した創設メンバーの一人となった。なお、この同じ年に毎日新聞の特派員として中国を訪れた芥川龍之介も李漢俊の自宅を訪問しており、芥川は彼について「論理立てて話すことにおいては、私より上かもしれん」と記している。

その後、李漢俊は党の路線をめぐって陳独秀らと対立し、次第に中央から距離を置くようになった。武漢で教育活動に携わっていたが、1927年、国民党によって処刑された。享年37。短い生涯ではあったが、中国共産党の理論的基盤を築いた草創期の功労者として、その名は党史に刻まれている。李書城の旧宅は現在「中共一大会址記念館」として保存され、中国共産党の聖地となっている。


廖承志(りょう・しょうし) 1908〜1983/暁星小学校在学

廖承志は1908年、東京・大久保で生まれた。父の廖仲愷は孫文の片腕として知られる国民党の重鎮、母の何香凝もまた革命家・政治家・画家として活躍した女性である。両親の日本留学中に生を受けた廖承志は、乳母の日本人女性のもとで育ち、幼少期を東京で過ごした。千駄ヶ谷で暮らした幼年時代には紺の薩摩がすりの着物に下駄を履き、近所の人力車屋の娘「お梅ちゃん」と遊ぶ、まるで東京の子どものような生活を送っていたという。

その後、暁星小学校に入学し、少年時代を東京で過ごした。1919年、11歳で帰国。やがて国民党に入党し、1927年に再来日して早稲田大学に学んだが翌年中退、中国共産党に入党した。以後、ヨーロッパでの活動、帰国後の逮捕と釈放、そして長征への参加と、激動の革命の道を歩んだ。

中華人民共和国成立後、廖承志は対外活動、とりわけ対日工作の責任者として頭角を現した。東京生まれ、暁星育ちの彼は、江戸っ子のべらんめえ調の日本語を自在に操り、中国共産党史上最高の「知日家」と称された。1962年には日本側の高碕達之助との間で「中日長期総合貿易覚書」を締結した。これは二人の名前の頭文字をとって「LT貿易」と呼ばれ、国交正常化前の日中経済交流の重要な礎となった。

1963年には中日友好協会の初代会長に就任し、亡くなるまでその任にあった。1972年の日中国交正常化交渉では首脳間の通訳としても活躍。その後、全国人民代表大会常務委員会副委員長を務め、1982年には台湾の蔣経国に宛てた祖国統一を呼びかける公開書簡を発表して注目を集めた。1983年、北京にて逝去。享年74。

廖承志の生涯は、日中両国の架け橋としてのものであった。幼少期に暁星で学び、東京の下町の空気を吸って育った経験は、彼の日本理解の原点であり、戦後の日中友好関係の構築に計り知れない影響を与えた。


暁星が結んだ日中の縁

李漢俊が暁星中学(旧制)を卒業したのは1910年、廖承志が暁星小学校に在学していたのはおおよそ1910年代半ばと推定される。二人が校内で直接交わることはなかったであろうが、明治末から大正にかけて、暁星という一つの学び舎が中国近現代史の重要人物を育んでいたという事実は、日中交流史における興味深い一頁である。

フランス系カトリック校としての国際性と開放性を備えた暁星学園は、当時の東京に集った中国人留学生やその子弟にとっても、質の高い教育を受けられる場であった。李漢俊は暁星で培った知性と語学力を革命の理論構築に注ぎ、廖承志は暁星時代に始まる日本との深い絆を日中友好の礎とした。

二人の足跡は、教育が国境を越えて人を育て、歴史を動かす力を持つことを静かに物語っている。

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