あなたの県のPythonランキング(都市別・参加者数比較)

2019年に実施した「ゼロから始めるPython入門講座」の1回開催あたりの参加人数を都市別に比較してみました。

複数回開催している都市では最高人数としています。
ちょうど東京がほぼ100名なので、指数として見ることもできるでしょう。

1位:東京:108名
2位:大阪:70名
3位:福岡:53名
4位:京都:35名
5位:名古屋:33名
6位:札幌:22名
7位:高松:20名
8位:横浜:19名
9位:松山:18名
10位:富山:16名
11位:徳島:15名
11位:浜松:15名
11位:神戸:15名
11位:岡山:15名
15位:出雲:13名
16位:酒田:12名
16位:仙台:12名
18位:広島:11名
18位:尾道:11名
18位:別府:11名
18位:郡山:11名
22位:鹿児島:9名
22位:津:9名
22位:福井:8名
25位:青森:8名
25位:大分:8名
25位:太田:8名
25位:長崎:8名
25位:熊本:8名
25位:金沢:8名
25位:山口:8名
32位:新潟:7名
32位:水戸:7名
32位:甲府:7名
32位:宇都宮:7名
36位:佐賀:6名
37位:高崎:5名
37位:姫路:5名
39位:鳥取:4名
39位:宮崎:4名
39位:岐阜:4名
42位:盛岡:3名
42位:秋田:3名
42位:千葉:3名
42位:大宮:3名
42位:高知:3名
42位:和歌山:3名
48位:奈良:3名
49位:長野:2名
50位:近江八幡:1名

当然のことながら、平日開催、休日開催、開催時間帯などもバラバラですので、バイアスがかかっているデータだと思ってください。あくまでも目安です。〇〇県が民度が低いとかいうシェアもおやめください。あくまでも私たちのマーケティング活動不足です。

地域コミュニティとしてのテックジム

レイクロックの自叙伝的映画「ハンバーガー帝国」にこういうシーンがある。

旦那がパティを焼いて、奥さんが子どもに飴玉を配る。
こんな美しい光景はあるかい。それがマクドナルドだと。

先日、テックジム三浦校のご契約となって、
オーナーのお宅を訪問した。

近所のお子さんたちも集まるお宅で、
テックジム会場もリビングとなる。

MTGには奥さんも参加してくれた。
この取り組みに理解があり、協力的だと一瞬でわかった。
帰り道にPython講座の会場予約にも車を出していただいた。

夫婦でやる仕事というのは、みかん農家の叔父・叔母以外に見たことがなかった。
自分自身も夫婦でやる仕事というのはある種あこがれがあって、豆腐屋っていいなあと思った時期もある。

旦那がリモートエンジニアで、
自宅で夫婦でテックジムを切り盛りする。
近所の子どもたちがプログラミングを学びに来る。

なんて美しい光景だろう。

東京では、旦那は子どもたちのことを知らないし、
奥さんたちも旦那の仕事を知らない。近所付き合いも希薄である。

地方はまだ、みんなで子どもを育てるという考え方がある。
地元でIT人材が育てば、地元の産業の人たちもその恩恵に預かれる。

テックジムは地元社会と接続するツールであり、地元社会に貢献する活動でもある。

三浦校のご夫婦をみて、テックジムの新しい可能性を気づかせていただいた旅になった。

テックジム三浦校

沖縄で見えたIT一丁目一番地構想

前もって決まっていたスケジュールは、会食2件、オンライン講座とプログラミング講座が1件ずつ、あとはノープランで那覇についた。

到着した夜は雨で寒かったが、残りの日は全て晴れで、常夏の沖縄を体験した。

沖縄は17年ぶりで、その時は従兄弟の結婚式で来た。結婚式のあとの親族の2次会の沖縄料理屋で叔父さんと新郎の従兄弟が喧嘩したのをふと思い出した。彼は自衛官でその2年後に殉職した。

いつでもこっちに遊びに来いよって言われたけど、それから行く機会がなかった。

2019年の全国ツアーも後回しになり、そこにコロナが来たから、佐賀から初めたPython講座は3年越しで全県制覇となった。

早川さんからメッセでソードフィッシュは最高ですと連絡来たので、暇だし、スキューバ体験してみるかと参加してみたら、思いの外楽しかった。ヘトヘトになったあとの牛カツカレーも美味かった。

ここで旅のスイッチが入る。
リチャードからは古宇利島は最高ですとメッセが来たので、せっかく恩納まで来たことだし、行っちゃえトヨタという感じで、そういえば、寅さんのロケ地ってどこだろうと調べると、近くにリリー宅があるじゃないかと、そんな感じで初日を満喫。

その後は、沖縄に住んでいるエンジニア起業家の友人と沖縄料理を楽しんだ。俺はこうしてもずく酢を食べていられるだけで幸せだと語っていた。彼は翌朝、釧路にいって、最終日に戻ってくる便と、ちょうど私の出発のタイミングが重なり、3日ぶりの再会をして、お土産に天使のはねをくれた。

2日目は、正勝さんからの依頼で、オンライン集客の仕組み化について、zoom講義をさせていただいた。

その後、Python講座を開催。

前もって、早川さんに、オススメのセミナールーム教えてくださいと聞いたら、うち使っていいですよというご厚意で手配してもらったら、なんと飲食店のテーブル席だった。

50都市いろいろな場所で開催してるので、どんな状況下でも開催してきたわけではあるが、飲食店は初めてだった。この経験のおかげで、もはやマクドナルドでも、スターバックスでもできるという自信がついた。

そして、参加者のなかから、今から社長と会ってくださいという方がいて、そのまま会食となった。気づいたら、ITで天下取りましょうと話で盛り上がった。

今回気づいたことは、割と多くの友人たちが沖縄を頻繁に訪れていて、そのまた友人たちも沖縄に訪れているということだ。
この島には、札幌と博多にない魅力があり、そして、友人との再会の場所として機能している。

テックジム沖縄校は地の利があると思う。
どんな方がFCオーナーになっていただけるのかと思うと楽しみである。

今回のアスティーダのスポンサードにより、内地の人々への認知はひろがり、FCオーナーは地元の有力企業と繋がれる。

そこに東京のIT起業家を紹介する事ができる。エンジニアを育成していけば、ついでに、テックジムを訪問しようとなるはずだ。

最初はついでにでもいい。
いずれ、東京からの案件をこなし、内地でも目立った仕事をしていけば、一丁目一番地。まずは訪問したくなる場所になるはずだ。


そんなことを地元の起業家と話して思ったわけである。

翌日はまたレンタカー。
沖縄民謡のラジオを聞きながら、斎場御嶽に向かう。

聖地を掃除してるおじさんから、朝早いねーと言われる。俺はそんな柄ではないのに、勤勉な旅人に見えたようだ。

出張というのは、予定を入れてないと、何にもせずにホテルでゴロゴロ。ビール。テレビ。という感じで過ごしてしまう。

俺はこう見えても忙しいんだ。
これが頼み事を断るときの寅さん。

暇は売るほどありますんで。
これが頼み事を受けるときの寅さん。

この心理は旅をすると、そうだよなと感じる。

温泉の大浴場があれば、折角だからと、夜と朝に入る。こういう作業をする理由がないとなんにもしない。

今回の旅では、レンタカーを借りることにした。どうせだったら予約は朝一番からしておこうとなる。そうすると、それに合わせて本当に早朝に起きて行動してしまうのである。

折角レンタカー借りたんだから、目一杯、観光地を巡ってやろうと、欲がでる。
詳しそうな人に連絡する。
タクシーのおじさんにも聞いてみる。
出張以外の目的を持つと途端に忙しくなる。

セイファーも加賀谷さんに教えてもらったし、この日はずっと先輩とメッセしていた。

ひめゆりの塔は今回の目的地となっていた。
というのも、佐藤さんの世界2.0を飛行機で読んでいて、後書きに、佐藤さんのひいお爺さんの話が出てきたのだ。

彼は、何十万人の日本国民の命を預かる軍人で、極東軍事裁判で処刑された。それから佐藤さんは、俺が国を作るとしたらみたいなことを考えていたというのである。

那覇空港に着いた時、ひめゆりの塔が呼んでいる気がした。というわけで、資料館をまわり、米国軍人には大いに反省していただきたいと思った。

こんなことを思ったのは、ルワンダ虐殺記念館以来のことで、敵軍の女子に手をつける兵隊というのは軍人として恥じるべきである。

ユダヤ戦争で敵軍に暴行されるのなら自決した方がいいというのと、同じものを感じた。

その後は海軍壕、そして、金城石畳、首里城を巡った。

その後、バルコラボで、早川さんと、山下さんと、鈴木さんとで会食。

鈴木さんは横浜育ちながら、こっちに移住して6年。沖縄のエンジニアを12名雇っている。
まさに一丁目一番地構想にふさわしい人物だ。

鈴木さんが、内地の人の郷土愛は日本で一番強いんですと言った。

それに対して、私はこう答えた。

東京以外、どこの土地の人も同じです。
隣接している他県、県内ですら他旧名国を憎んでます。敵の敵は味方で東京人には親切。

そして、みんなこう言います。
ここは東京と違って、空気もうまいし、料理は美味い。そして人もなつっこい。だから最高です。

私はこう答えます。
そうですね。ここは最高です。と。

そんなこんなで、3日も滞在していると、その土地が恋しくなるもので、東京の生活を思い出すと億劫になるのである。

学習塾に行かせる金があるなら、地元の名所巡りに金を使ってやれ。

昨日、2ヶ月ぶりに立川に行った。

フェイスブックでiOSエンジニアのしんちゃん(実名は隆之介なのだが)が
キッチンカーを出しているという投稿を前夜に見つけたので駆けつけたのだった。

行きしなに、昨年末偶然にFBで繋がったやましょうに連絡。
35年ぶりの再会をそこで果たす。国分寺市立第四小学校の同級生である。

国分寺時代が人生に一番影響を与えたと思う。
海しかない三原から中落合にきたときは、田舎者にとっては、全てがストレスだった。

小学校3年生に上がる時に国分寺に来た。
当時の国分寺はほどよい田舎だった。

みんなのんびりしているが、文化水準は高い。
15名くらいの男子のうち5名くらいが家にPCがあった。
88とか98の時代であある。
徳川家の避暑地であり、三菱財閥の別荘地であり、村上春樹がいた街である。江戸時代は瓦堀りの観光地だったそうだ。

親たちは基本的に放任主義だが、親たちとの接点はほどよくあった。
やましょうの母さんとも喋っていたし、笠井の親には御嶽山に連れてってもらった。逓信住宅の夏みかんの木によじのぼって実をとっていると、知らないオバさんから怒られると思いきや「あんたどこから来たの。新宿か。都心の子はこういうことできないから、良かったね」と言われたりもした。

プレイステーションでは火遊びや家づくりができたし、本多さんの庭で筍狩りをしても、ほどよく怒られ、ほどよく誉められた。

分倍河原の合戦で燃やされた国分寺跡、鎌倉街道、玉川上水など、普通に歴史に触れ、大人たちも教えてくれた。

東京に出てきた人たちに地元の名所を聞くと、知らない、行ったことがないという。
それでは地元への愛着はわかない。帰ってもすることがないのだろう。

当然、地方に行くと、そこに残っている人は名所を色々教えてくれる。
少年時代に親に連れてってもらったとか、子供をよく連れて行くとか。

地方創生のクビキはここにあると思う。

ちょっとできる子は塾に通わせて、東京に行かせようという欲がでる。
東京である程度成功したら地元に戻って欲しいと思う。

しかし息子は地元に戻ってこない。
それは、地元の名所を教えていないからである。
生まれた土地の、綺麗な空気や人懐っこい人情にも触れず、
美味いものも酒も飲まずに人生を全うする。

地方巡業のおりに名所を巡っていると、土地の人々との交流ができる。
旅の終わりには愛着を感じて、また来ようと思う。
今度はあそこにも回ろうみたいな欲も出てくる。

青年時代に東京を捨てた人の多くはこういう感覚がないのだと思う。
それは俺の両親を見ても明らかで、宇佐神宮や糸崎神社の話が出たことはない。

話は戻って、やましょうは、小五の時にベーマガを読んでゲームを作っていた。ところが、入った大学の学部には当時、情報系の授業がなかった。
バイト先が就職先になって、地元の学習塾の社員になった。
29歳の時に「やっぱりやりたいことがしたい」と思いプログラマーになったという。

それに対して俺は、親に勧められて学習塾というチートを使って、またストレスでしかない時代を送る。

無目的のまま、暁星に入り、何もやりたいことがないまま早稲田を出た。そんな時に松瀬に誘われて、i-modeコンテンツ開発の会社を作った。
たまたまやってみた仕事がはまったというわけだ。

俺が忌み嫌う学習塾を、彼が携わっていたというのは皮肉なものである。
今こうして、お互い好きな仕事についているというのは有り難い話であるが、それにはお互い遠回りをしたものだ。

今はやりたいことがあれば、調べるツテもあるし、リーズナブルな代替え手段もあり、経済的理由で目指せないということの方が少なくなってきている。

このような時代の中で、友達や先輩、地元の人、親たちとのコミュニケーションが断絶される「いい大学に入っていい会社に入る」というモノレールはリスクでしかない。

いまの学生たちの親や先生は、デジタルリテラシーがとても低い。そんな中で育つから、学歴に関係なく、ITとの接点が失われる。

やりたいことがあれば、自ずとITとの接点が生まれるのが今の時代なのに、彼らは若くして生きた化石となっている。

なるほど、こういうわけで、日本はIT分野で出遅れているのかと合点があった。

親のお前こそ、人生100年時代の後半戦を「やりたいこと」で過ごすことに集中せよと言いたい。子供は子供同士でなんとかするのだから。

PS)「純粋に学問をやりたい」とか、自分の意志で「塾にはいりたい」という子供の場合の話ではないことを断っておく。やっぱり学問は大切だという親もまたそれはそれでいい。ご自由に。

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